ズレてるとはなにか〜パン屋と呼ばれた友人〜

全然いじめられているわけでもないのだが、みんなからあいつとは深く関わってもしょうがないと思われている男が、高校の時の私のクラスにはいた。

そいつは一言で言えば『ズレてる奴』。

ズレてる奴は阪神ファンで私はヤクルトファンということで、プロ野球好きが珍しい高校だったために、みんながなんとなく避けるズレている奴とも私は普通に野球の話で盛り上がっていた。

今思うと、高校生の私は周りの評判なんて気にせず誰とでもよく話していたもんだと、自分でも妙に感心する。

 

そんな私でもズレてる奴を擁護できなかったしょうもない行動がある。

 

そのズレてる奴は、別にデブでもないのに、いつも4・5個のパンを常備していた。

それは常連(可愛い女の子たち)に配る用のパン。

「〜パンちょうだいー」と甘い声で女の子たちから声をかけられると、ニヤけた顔で「しょうがないな〜」と言いながらパンを渡すズレている奴。

そしてズレてる奴はこの時がチャンスとばかりに女の子たちに色々話しかける。

しかし悲しいかな。

殆どが彼氏持ちの彼女たちは遠目で見てもすぐに分かるようなあしらい方をしていた。

それでも必死に喋り続けるその姿は、滑稽さがまとわりついていて、正常な感覚をしていたら少し体が震えるようなやり取りが白昼堂々と行われていた。

 

何よりもダサいのが、女の子たちがいなくなった後のことである。

そのズレてる男は毎回自慢するように、

「ここにあるパンは万引きしてきた」

と私に公言していた。

 

それが嘘なのか本当なのかは今となっては確かめようがない。

ただ、高校生にもなって万引きを自慢するという社会不適合者か、虚栄にまみれた見栄張りの2択なだけ。

ああ、なんてあほくさい話なのか。

どちらに転んでもクソみたいなものだ。

もちろんズレてる奴が一番悪いが、貰う方も貰う方だ。

可愛くてスクールカーストが高いとああも図々しくなれるものか、と率直に思った。

それまでの私は、基本的に可愛い子の方が周りにヨイショされることによる余裕があるので性格が良くなり、ブスの方が歪むという派閥に属していた。

だがこの一件により、結局性格は人次第という当たり前の結論に戻った。

成長させてくれてありがとうと言いたい。

 

ある日、深くも考えずに、私はズレてる奴に「俺にもそのパン頂戴」と言った。

すると一瞬間が開き、「お前にはあげれない」と言われた。

「なにそれ。お前は女子にだけ配るパン屋かよ」

平坦な声で私の口からそんな言葉がするりと出た。

その瞬間、その場の空気が固まったらしい。

「……」

何故だか私はその後のズレてる奴の言葉を思い出せないでいる。

ただ何か言い淀んでいたことだけは薄らと覚えているのだが。

 

その時の空気が止まったらしいと書いたのは、実はこの事件のことはそれほど私の印象に残っていないからだ。

同じ教室で見ていた友人たちの方が鮮明に覚えていて、後に「あの時のお前はヤバかった」と私のデリカシーのなさを表す代表的なエピソードとして使われている。

改めて問いたいがデリカシーってなんだ。

なぜみんな、あんなしょうもない現象を見ながら黙っていられるのか。

ズレている奴のことになると、あそこまで触れないように触れないようにしていたのか。

果たして私は踏み込んではいけない領域を犯してしまったのか。

当時の私にはそれらが分からなかった。

 

だけど今なら分かるような気がする。

 

そのきっかけは成人した後の軽い同窓会で卒業して以来初めてそのズレた奴に再会した時のこと。

同級生7〜8人で、酔いも回って2次会にカラオケに来ていた。

卒業して以来、バラバラになった同級生同士がそれぞれの現状を語り合うのは、やはり感慨深い。

だが同時に、その場には謎の緊張感が満ちていて、いくつかのグループが重なり合ったその場は、強引にまとめる平時なら少しうざがられるタイプの人間を求めていたが、運悪くその場にはそんな奴はいなかった。

結果、男子は『天体観測』や『小さな恋の歌』などのみんながサビで盛り上がれる歌を無難に歌い、女子はAKBや、ももクロなどを複数人で歌うことで個人が変に目立つことを避けていた。

あまり良くない意味でみんなが空気を読みながらカラオケに勤しむ、楽しいはずだけどどこか気疲れするそんな空間がそこにはあった。

私も席を外そうか悩んでいたが、苦痛というほどでもないし、ここで外すと角が立つというか、なんかこの場を楽しめなかったら、地元の友達とも楽しめない奴に成り下がったと認めてしまう気がして躊躇してしまった。

そんな中で、唯一その場を純粋に楽しんでいたのは、何を隠そうズレた奴だった。

牽制し合うようなマイク争いを制し、そのズレた奴は誇張抜きで、その場でそいつしか知らない女性アイドルグループの歌を低い声と崩壊はしてない程度の歌唱力で堂々と歌った。

今でもその時の映像は頭の中で再現できる。

聞き馴染みのないイントロからの終始盛り上がりのない4分間。

そいつだけが気持ちよさそうだった。

曲が終わってもみんな言葉が出てこない。

その曲に対して共有している情報がゼロなもんで手掛かりがないのだ。

そこそこ長い沈黙の後、誰かが「知らん曲だけど普通にいい歌詞はしていた」と呟いた。

瞬間、「なにそのフォロー」と心の中で突っ込んだ。

その歌詞は別によくある悩みながらも明日に向かって走って頑張れ的な内容だった。

高校生の私なら、「別にそこら辺の安いJPOPもどきのアイドルソングだろ」と言い放っていたのだろう。

だけど知らず知らずのうちに東京の大学生に少しずつ適応していたその頃の私には、純粋なデリカシーのなさはもうすっかりなくなってしまっていた。

それが良いことなのかどうかは今の私にも判断が付かないでいるし、今のところその見通しもたっていない。

 

万引きしてきたと自慢するパンを可愛い女子たちに毎日配っていた高校生のズレてる奴、と、大勢で盛り上がるための儀式としてのカラオケの最中にいきなり個人趣味全開の凡庸な女性アイドルソングを披露する大人になったズレてる奴、種類は変わったかもしれないが、みんなからどこか避けられるような彼の本質は何も変わっていないかった。

変わったのは、私の方か。

なんて少しだけポエミーな自省が飛び出し、いよいよ思考が奥深くの迷宮に迷い込むと、ズレてる奴のあんな姿がなぜか眩しく見えてくるものだ。

………

……でもだからといって、あんな人間になりたいわけではないな。

危ない。危ない。

どうやら、私には冷静に判断できる力がまだ残っているようだ。

最後にふとそんな事を考えた。