本にある「はじめに」の機能と「おわりに」への愛

本を立ち読みして、購入するかどうかを決めるときに、私は「はじめに」を重要視している。特に新書の場合当たり外れが激しいので、決してタイトル買いはせずに、必ず「はじめに」をチェックする。

 

「はじめに」の段階でその筆者の文章力はわかるし、サービス精神のレベルもわかる。

 

一番当たりなはじめには、「ちゃんとした文章力で書かれた興味を引き付けられる内容かつ、なんとか分かりやすく噛み砕いて面白く説明しようとしている工夫がみられる」ものである。中公新書に多いのだが、学者の論文をそのまま分厚い新書にしたものは意外に地雷である。まあ、内容がペラペラで何も頭に残らない本よりはマシなのだが。

 

はじめにはいわば、その本の当たり外れ判定機の役割を果たしている。ちなみに、最近は積んでいる本が多すぎることもあって、本屋ではじめにを読んで大体の内容を掴み、本編は長すぎるためにそっと本棚に戻すことが多い。

 

「おわりに」は、最後のボーナスみたいなものである。おわりにまでしっかり読み切っている本というものは、そこまで読めているということで、本編の面白さが保証されている。よって、好きになった本の作者が唐突な自分語りを始めても、全然読んでいられる。それどころか、熱に浮かされたような文章によって、その情熱を感じたい。ありきたりな謝辞などはいらない。尖った文章を求めている。

 

そして、最後の締めとして、「家族団らんの笑い声が絶えないリビングにて」とか、「茜空に染まった故郷の海を眺めながら」とか、臭いセリフを残して欲しい。身を削ったおわりにを読んでいるときが、一番その作者の深い部分に触れている気がする。

 

私ほど「おわりに」に拘っている人は少ないと思う。世間ではないがしろにされがちだ。もし、少しでも興味を持ったのなら、自分の好きな本のおわりにをもう一度読み直してみて欲しい。